
雛祭りの由縁は古代神の結婚式。議会合議で後継ぎに決まったイザナミ&イザナミ。
==== 神代一代目元神 ====
一代目の神という事で最初に出てきたのは、山本太郎さんの事務所が赤坂にあった赤坂溜池山王の日枝神社で、太郎さんの為に、お祀りされている神様を調べて、一番上に出てきた神様。その名も「国常立之尊」(クニトコタチノミコト)と言う方でしたが、その方が日本建国の祖と言われています。
宇宙がまだ、チリが渦巻く無であった頃、混沌が雲のように漂うところを、天御祖神(アメノミヲヤカミ)という宇宙神が息を吹いて混沌(ウビ)が渦を巻き、ビッグバンが起こって宇宙創成、太陽と地球と月ができたと、言うのですね。
えー、それって日本創生というより、銀河系と地球創生の神様の事では。。。。
宇宙=日本??
ま、兎に角、その状況に、無から新しく出現した独身の男神が、「クニトコタチ」で、あり、日本を最初に国とした方だとおっしゃいます。この名前、大事な神様で、実によく聞くのですよ。墨絵もいくつか残っています。
また、一部で大事に受け継がれている「日月神示」は、この神様の御告げと聞きます。キリスト教には、彼に対応する同じような役割の人物がいるようですね。ヤハヴェ、でしたっけ?今の時代に起こっている、ハルマゲドンに向けたグレートリセットの動きについては、聖書と日月神示には、同様に予言されているとも聞いております。参考⇨Youtubeチャンネル AKira’s Deep
==== 二代目の神達 ====
クニトコタチの息子たちは、8人の皇子たちで、散らばって敷島と呼ばれる日本を治め始めます。東京の地名に八王子という土地名がありますが、その名残りです。超古代も東京が中心だったとは驚きですね。もしかして、高尾山が霊的にも優れた場所で、外国人も多く訪れるのはその為でしょうか。
でもこの皇子達は、独身のクニトコタチが、どうやって産んだのかわかりませんが、もしかしたら女性が敬称で出でこない時代なのかもしれません。或いは、8人の皇子は、魂・意志のような気体の様なもので、人の形をしていなかったと言う説もあるようです。
この皇子達から、5人ずつ子供が生まれ、だんだん地上の人数が増えて行きましたが、この国では誰もが譲り合って、勢力争いの上、そのリーダーを決めると言うことではなく、名前の順だとか、なんとか。。なんて平和なんだ。。。
==== 三代目の神世 ====
第3代、と数えられる神の時代は、ト皇子の嫡男、トヨクンヌ様が神々の皇子のトップになります。 一応、初めて互選で選ばれた長なのですが、選ばれた理由はと言うと、8人の皇子(名前はそれぞれ一音で、ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メ)の最初のト皇子の息子というだけなのですよね。。。
これは単に、最初の文字に当たる方の家系を、神々の頭としたと言うことなので、合議に於いて、「音の一番目が頭でいいんじゃないの?誰が一番偉いわけでもなし、それでいいんじゃないの?」という和やかな議決が目に見える様です。いやはや、村の集会所を見るようですね。
この頃までに、全体を統一する国長「君(キミ)」、そして政治を補佐をするのは他に8人の「臣(トミ)」と呼ばれ、君主と臣下の関係が出来ました。加えて国政に参加しない「民(タミ)」の三階層ができていたとのことです。ここまで女性は物語に登場していず、政治は男性のみで行われていたようです。
さて、縄文の日本が繁栄していくのはこれからです。政治のど真ん中に女性が出てくるのです。
==== 四代目の神世 ====
第4代の神の世は「ひなまつり」「結婚」「一夫一婦制による家庭の発生」に関する伝説でもあります。また「両性、陰陽合わさった政治」という重要なテーマです。日本では男女ペアの最高神が君臨しての神々の仕事がスタートしたのです。
世界でも珍しく平和が一万年も続いた日本の縄文時代。何故でしょうか。偉大なる人物、神と呼ばれ、天神としては男女が対になって執政したのですって。平和な一万年は、両性補い合いの完璧な夫婦神が治めた政治の力かな、という事なんです。それが本来、縄文からの日本の大事な伝統ではないかという話です。 その理由から、古代の神々は結婚すると同時に即位したようです。
トヨクンヌの嫡子の皇子は、福井県のヒナルノ岳で一緒に育てられた少女と将来を誓いあって木のタネを植えました。木が育って花も実もたくさんつけたので百もの花を賑わせて、百=もも=桃の花と呼ばれました。
約束の桃の木と、ヒナルノ岳、と可愛い雛鳥のイメージから、両名はモモヒナギ、モモヒナミとで呼ばれていました。(古代では〜ギが男性で、〜ミが女性なんですね )
彼等が成人し、約束通り結婚式をしたのが3月3日なんだそうです。何故なら、約束の樹の花が咲く時期だから。花咲く桃の木下で、夜に杯を酌み交わし、床入りしたのが、結婚式、と言うことになりました。とこしえ(永久)の愛と床入りをかけて、トコの御神酒盃を酌み交わし、初夜の緊張を解くのですね。
杯には月が映り込んだ神酒、それで逆月(さかづき)と見、女性から飲み、男性に廻す。3月3日にこの儀式があったので、三々九度、の習慣ができたのだそうです。月が逆さに映り込んだので、それ以来広口の杯を(サカヅキ)と呼ぶようになったのだそうです。
コレが日本に於ける最初の「結婚式」であり、その言い伝えが「桃の節句」として残ったのです。
初夜三日間過ごしてのちに寒川と言う川で、お二人が清めの儀式を行われた際、火照る身体に水を掛け合って、初々しく仲睦まじい、そして身も心も良く通じ合い、喜びと希望に満ちた様子を見た者は、その美しさに息をのみました。お二人の余りにも素敵な幸せそうな様子に、臣下達も、民達も、みなこれを倣い、真似するようになった、というんですね。
何を真似したかというと、三三九度を夜に執り行い、床入りした女性を妻を正式に娶り、居を同じくして、協力して社会の為に働き、一夫一婦で添い遂げるようになった、のでしょうね。
さて、結婚即位と同時に、二人は新しい成人の名前を持つようになりました。ウビチニ、スビチニ、です。第四代神世、ウビチニは妻のスビチニを宮殿の中に入れて一緒に執政し、天神の座に一緒に着かれました。夫婦による政治は、陰陽併せ持つ完璧な姿、その完璧さで円満な社会を作る為のことであります。
女性を話し合いの場から退出させようとする森元総理が糾弾されたばかりですが、日本では是非、女性を閣僚に入れ、考えをバランス良く反映させた政治を実現し、とこしえ(永久)の国として古代から続く日本国が是非とも、平和を体現して他の国々を追随させていきたいですよね。。。。
このような男女の結婚や交接の話は、1万年の神話の中で初めて出てきたので、さしずめこれが、日本のアダムとイブ、に相当すると思うのですが、日本では男女の交接は罪ではありません。あどけなく無邪気で頬を染めて、幼い頃からの誓いの元、深い信頼関係の元、一生を添い遂げるご結婚をされ、パートナーシップを世の中のために使い、心を込めて生きたと言うことです。その為の男女の結びつきなのです。
古代から、そのような価値観や美意識が、日本の社会を形作ってきたのではないかと言う気がします。
また、宮殿は政治を行う場所であり、正妻を、その中に入れて一緒に仕事をするので、その通り「中宮様」、と呼ぶ様になったのですねえ。平安時代の一夫多妻制に於いても、側室と区別して帝の本妻は中宮と呼ばれていました、古代神代七世についてもそうでした。
皇帝の椅子は一つというイメージが有りますが、日本では宮中の内裏に天皇のご夫婦が並んで座り、共に心を併せて執政した。この時の衣装やご天神夫婦の対等なあり方を表しているのが、3月に飾る内裏雛人形(写真)なのではないでしょうか。
中宮様と言えば、大祓祝詞に登場しながら、荒神として伊勢神宮でその存在を消されているセオリツヒメ(瀬織津姫)は、後に登場する天照大神の中宮様でいらっしゃいました。神話の重要人物が消された事について、これは日本の歴史文明に於いて大きな哀しみと思います。
それにしても、ひな祭り、男性の冠・大袖・大袴、女性の小袖と上被衣も、紀元前のとても早い段階で存在していて、五七五の和歌は、もっと昔、紀元前1万年前から存在していた、と言うことなんです。
縄文時代というのは、始め人間ギャートルズ、の世界ではなかったんですねー。鎌倉時代くらいの衣食住は、紀元前数千年の段階において、既にあったのね。
==== 第五代の神世 ====
その後、改暦された後、この二人の嫡男のツクグイ(角杙尊)さんが跡を継ぎますが、どうも即位は結婚と同時にするもののようですから。妻となったのは、イククイ(活杙尊)さんで二人の出会いのエピソードが、今に至る私たちの言葉遣いの習慣の元になっています。
宮殿の、戸の前で初めて出逢って一目惚れしたので、お二人が夫婦神として即位した時の名前が、
男性:オオトノチ
女性:オオトマエ
となり、それ以降、男性に当てた敬称を「殿」、女性には「前」(御前)となりましたとさ。
これが第五代のエピソードでした。
==== 第六代の神世 ====
第六代の神の世は、とても統治の仕事を頑張ったご夫婦でしたが、嫡子が生まれず、周囲が後継の野心に乱れたせいか、ご本人達も疑いやすくなり、専制的な政治に傾いてしまったと。民が不安がって、荒れてしまい、神=帝の統治に従わなくなったとあります。
お二人は、オモタル(両足尊)、カシコネ(煌尊)といい、この章には気候変動の記述もあります。この頃まで、日本の半分南は熱帯でした。青森や東北は最も住みやすい所でした。それが次第に寒冷化してきたようです。
お世継ぎ問題は結構大変だった。象徴となる家庭の、健全たる、将来の希望のある状況が、国の政治の核心であることが伺えます。
==== いよいよ、伊弉諾と伊奘冉へ ====
のちに言う「老中」のような?知識人の執政者がでてくるのですが、これが役職名として「タカミムスヒ」と呼ばれ、有名なカタカムナの第7首にもでてくる神ですが、皇室に当たる天神ご夫婦の後見人の神役職名とされています。
この時代のタカミムスヒ=トヨケ神=豊受様ですね。東北の知識人で文武両道優れていました。宇宙の法則も建築技術も、乗馬も名手でした。彼が議長として国政の議会を預かっていたと。
(((え!!議会があったのですね!!!)))
神代2代目のクニサッチの時代から「合議制」がある。その全会一致で問題を解決したのです。なんと、議会で次の世継ぎ皇子とその嫁を決めたんですって!!日本て昔から合議制!!??
桃の節句の夫婦神、ウビチニ、スビチニ閣下の直系の曾孫の皇子(イザナギ)を今の福井県から探し出した豊受御仁は、自分の娘(イザナミ)と結婚させることを全会一致で決めました。※ 豊受さまも神の一族ですから、皇室の親戚の一部、血統としては中央に近いところにいた女性でしょうね。
==== 第七代、イザナギ、イザナミ ====
ホツマツタエでは、伊奘諾、伊弉冊さま達は、雲をかき混ぜた天上の神ではなく、地上で、全国に稲作を根付かせた、偉大なるリアル人物でした。しかも皇室の血が途切れそうになった際、合議制で選び出された、跡継ぎ夫婦だったのです。
これにはびっくり。私たちは、議会合議制についても、自信を持っていいんだな、とわかります。
彼等は日本の最高神、アマテラスの両親でもありますが、子作り祈祷ばかりしていたわけではありません。全国的に乱れていた人心と国民の食料事情を改善するために重い任務を背負って即位しました。
葦原を一本一本手づから抜いて、稲の田んぼを作って行きました。議会の強力な援護を受けて、十分な調査の上、計画を立てて、国家再建に勤しんだのです。稲作技術も行き渡り、食糧事情が改善されました。
本当に長い間、民のために一生懸命働いたご夫婦です。イザナミは先に焼畑農に巻き込まれて亡くなりましたが、イザナギは500年生きました。
つまり日本における神というのは、そういう人達の事を言います。労働は神です。
彼等が生んだ子供の第二子が、いよいよ天照大神として即位する子供です。彼らは結婚して住んだ筑波山から富士山に移り、山頂で約1000日の祈祷を捧げて、太陽の子を授かったと言います。正確には太陽の精霊が入り込んだ嫡男となります。
天照大神は、古代においては確かに「男」です「男」です「男」です。
先に話題に挙げた和歌姫さまは、アマテラスより先に生まれた女児ですが、夫婦が厄年であった為、敢えて川に流して家臣の養子としたので、あまり存在が知られていませんでした。
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