
Chember Music Trio ” Silencio” 勝手にライナー・ノーツ
長年、慕ってやまない音楽の兄、石井彰と、その独自の音楽を実施するバンド。チェンバー・ミュージック・トリオ。
ラルゴ音楽企画の、多田鏡子さんに一方的にお送りして、ガン無視されていた勝手にライナー・ノーツをこちらに公開します。
これは虎ノ門の文部科学省の斜め前くらいにある、とあるピアノのベーゼンドルファーの会社さんの1Fのミニホールで行われたアルバム発表のライブを見せていただいた後に書いたものです。(確か、当時のFacebookには、中川ヨウさん、ごめんなさい、って書いた気がします。)
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日野皓正のサポートでも知られる、ピアニストの石井彰(いしいあきら)が、新たなトリオを編成し、都内にてアルバムリリースの発表を行った。
従来のジャズのカテゴリーから一歩踏み出した抽象音楽とも取れる試みで、若手ベーシストの須川崇志をチェロに起用し、ある意味日本的とも言える、音色にタイトな渋みを持った杉本智和をベースに据えた硬派な編成だ。
リリースされたアルバム、“ Silencio(シレンシオ)”のサイト
http://studio-tlive.com/tlive_records/album/silencio.html
完全なる生音環境、モニターやヘッドホンを使わないホールでの録音形式だ。
日野皓正トリオでドラムスを担当していた田中徳崇がミキシングマスターを担当。
マスタリングはMasterdiskのScott Hullが仕上げているとのことで、ハイレゾでの配信も予定されている。
Chember Music Trioは、2年ほど前に編成され、既存の音楽やオリジナルなどを演奏しながら試行錯誤を重ねて落とし所を模索した。ネーミングは当初からだが、直訳すれば室内楽トリオ、という事になる。クラシックの音楽家には間違いなくそのように伝わる。
しかし、Chemberの意味は、裁判官室や、立法・司法機関の会議場議院,議会.を指す。評議会、審議会、協議会、理事会、役員会の意味もある。その異常さ故に近年SNSなどでも大きな話題を集める国会、議会を指すとすれば、時代に即したものとも思え、社会と共に動く即興現代音楽ファンにとっては、さりげなく社会の歪みに寄り添うの響きですらある。
しかし実は動詞の活用で言えば、誰かを部屋に閉じ込める、銃弾を弾室に詰め込むという意味もあり、ジャズのリスナーにはそのような裏のnuanceも閃くかもしれない。後者二つの意味を求める人々にとっては本アルバムを実際に聴いてみれば、その意味がわかるだろう。
しかしながら、アルバムのテーマは漆黒の浪漫となっている。
静かで侘び寂びの陰影を、独特の緊張感を持たせて奏でる杉本智和氏。須川崇志氏は、普段はベーシスト。ここではチェロで東洋美も出しているが、どことなく欧風でもあり、石井彰の作曲のものは特に、幽玄と現次元を行き来する際どいものが多い。
暗さを観察できるにはある種の余裕が必要であり、表現するには更に腰の座った理性が必要である。その点から言っても、石井彰本人は決して暗くない人物である。 ただ虚偽の情報に囲まれた時、それは彼の感性と逆の事を示すだろうから、陰鬱な想いに苛まれることも避けられないかもしれない。
つまりそれは今彼の身の回りに起こっている事を示している、彼や、彼らの訴えでもある、と言う可能性もある。岡本太郎が、高度経済成長に押しつぶされ、それまでの営みを奪われる悲鳴を芸術にしたように、それがレポートであれば、人々は耳をそばだて、何が起こっているのか、聞き取る必要がある。
石井彰の波動に、ベーゼンドルファーが反応し、本来の目的を果たすために歓び震える音を撒き散らす。音楽が元来どの様に派生したのか、さえ思い巡らせるほどに自然な音である。それは貴方が素晴らしい森の中に居るように渓谷や湖や、朝の光や夕暮れの只中に居るように錯覚するほど、人を自然に還してくれる。
前衛音楽はイメージでありながら取材に基づくレポートである。我々に語りかけるのだ。こう言った風景は知りませんか?と。ジャズの世界に長く身を置けば、娑婆の不条理はいつでも多少目の前にある。音楽は特にその様な解釈を望んだわけではなくとも、もしそれがありのままならば、表現を通じてのジャーナリズムにもなり得るかもしれない。
須川崇志は日野皓正バンドに亡き菊地雅章氏の縁から起用され、共に全国ツアーを回った。民族楽器などにも造詣が深く、タブラを手にしているのをみたことがある。石井が自身のライブで頻繁に起用していた杉本智和はジャズのみならず小野リサのコンサートにも起用されている。この二人が三曲目に取り上げられている作曲家のエルメート-パスコアルに、興味を持って居ることも頷ける。
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順不同で選曲について紹介する。
選曲は、石井彰本人の曲が二曲。スティーブ・スワロウとのアルバムの如く、人々が明るさや心地良さを連想するタイトルに限って、不安定さを選択し、様々な予兆を嗅ぎとるかのように、闇を取り出、複雑な心中を小説風に綴る。
どれだけ弾き込んだかわからないビル・エバンストリオ。そのベーシストであるスコット・ラファエロの曲が、このトリオの方向性とニュアンスを最も的確なベクトルで示している。
杉本智和の曲が一つ。イタリアに遠征した折、デジャヴにいくつか出くわし、その感覚を曲にしたという。信じがたい感覚を揺らぎにして表現されている。
石井彰が大変好んで取り扱う女性ピアニストのカーラ・ブレイが二曲。彼女はバップ時代以降のスタープレイヤーである。支離滅裂な音楽は情緒不安定を誘う。そこが彼女のアートであり、危うい橋を渡るような感性で、演奏の再現は非常に難しい。次元の裂け目を垣間見るような体験も天才ならでは。むしろ石井は難易度の高さに挑んでいる。近未来的であり、ユニセックスな繊細さも存分に発揮できているように感じられる。
ブラジルの奇才、エルメート・パスコアルの洒落、Milesの逆読みでSelim、
イントロダクションで選曲の幅を見せた後に、フランク・シナトラで有名なマイウェイ。しかも、オール・ブルースのバッキングに乗せて。自分を育んでくれた世界にオマージュを捧げながら、今後は更にオリジナリティを目指すのか、タイトルには何らかの意味も込められている様に見える。
自身が良く例えられるショパンから一曲をさりげなく置く。石井彰の持つ、ワルツステップのネイティブな感覚、悲しみに彩られたような美曲の扱い、どうしても石井彰にポーランドの陰影を見てしまうのは私だけだろうか。
最後に、オリジナルの「夜明け」という曲目のエンディングに、亡き大物ピアニストの菊地雅章氏の「パステル」を合わせて、本当の「夜明け」という印象を残す心憎さも逸品。菊地氏の奇跡のような抽象作品だと思う。
最後に、石井彰のファンが最も聴きたい、優しい響きに溢れたスタンダードは、世界に名だたる粋な遊び人であったコールポーターの曲。私はこの曲を最初と最後に聞くのが好きだ。
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http://studio-tlive.com/tlive_records/album/silencio.html
1、 Silencio. (5:26). 石井彰
2、Jade Visions. (6:03). Scott LaFaro( Bill Evanceトリオのベーシスト)
3、Selim (Hermeto Pascoal ) ~MyWay (Standard). (8:46)
4、Imtermission Music (4:23). Carla. Bley
5、Uma. Fermata. di. Memoria. (4:23). 杉本智和
6、Chopin Prelude. No.4. ( 3:05 )
7、Flags (4:15) Cala. Bley
8、Dawn. (石井彰)/ Pastel (菊地雅章) (9:29)
9、In. The. Still. of. the. Night. ( 3:55 ). Cole. Porter
以降は、執筆のための、各曲に関する印象メモ。習作。
⑴ なるべく素朴にありたい、大事なものは内面にしかない
⑵ 水、波紋、光、森羅万象の中に身を置く 一部になる
⑶ ただ、在る、溶け込んでいる状態 森羅万象に
⑷ 心象世界は、外でどんなにデタラメが起こっていても関係なく存続する。
⑸ 心象が多くの障害に研磨されると核しか残らない。しかも浮き上がってくる。
⑹ 自分の人生での出会いを大切にしたい。自分の豊かさを大事にしていく
⑺ 自分は東洋人であり、見えないものを見る力がある
⑻ 夜のしじまに見る、確かに意思のある闇、の存在を表したいのは能に通じる
⑼ 北欧のジャズの中ではかなりシンパシーを得られるのでは。音運びの知性
⑽ 須川さんは伸び代がある。とても真面目。もっと直感で大胆にオブリをつけていいかも
(11) 杉本さんとは仏教観が共有できている感じがする。修羅も感じる。
(12) 修羅無くして、真の洗練もないような気がする。いずれにせよ、アブナイ道のり。
(13) 狂気と隣合わせ。石井さんが欲の強い人だったら、狂気に巻き込まれていただろう。
(14) ただ在ること、ありのままで幸せにいることを許してくれる人。
(15) 珍しいピアノがある、鳴らしてみてほしい、という依頼が来る程の存在。
(16) 鳴らす響きがピアノの悦びになる事は、皆が知っている事であった。
(17) 知っている曲が余りにも幅広い。本来、ジャンルに押し込めるべきではない。
(18) 実在する闇と、破壊、分断された物事の散り散りを表現した曲があった。